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軍師官兵衛 俺にもこんな軍師が側にいれば・・・

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こんにちは、tryです。

実はこのtry親父、戦国ものが好きで、現在のNHKの大河ドラマ
『軍師官兵衛』も毎週楽しみに観ています。
なんといっても不敗の軍師です。

特に信長や秀吉、家康などが活躍した時代の物語が好きなのです。
勿論、武田信玄や上杉謙信、北条時宗、毛利元就といった一世代前の
武将達も大好きです。

こういった戦国時代というのは平和な時代ならただの官僚とし埋もれて
しまうような優れた人物が表舞台にキラ星ごとく登場します。
身分に関係なく出世できたのは乱世ならではといったところでしょうか。

今回とりあげるのは軍師についてです。

軍師は一般的に、軍中で軍を指揮する総司令官を補佐し、戦略、戦術を
提供する参謀長のような存在ですが、その仕事は軍務だけでなく政務にも
及びます。

この戦国時代日本の武家の軍師として名をあげたのは、今川家の太原雪斎
(雪斎禅師)、武田家の山本勘助、羽柴家の※今孔明といわれた竹中半兵衛、
この大河ドラマの黒田官兵衛を始め、上杉家の直江兼続、伊達家の片倉景綱
などが有名です。
※今孔明とは現代の諸葛亮孔明といった最高の軍師という意味です。

信長の場合は特別で、ほとんどを自分で決めるいわゆる天才型だったようです。
軍事、政治にも秀でている三国志の曹操に性格が一番近いように思います。
誰にも信長の真似はできなかったことからもそれが証明されています。

軍師らしき人物は秀才の明智光秀が一番近かったかもしれませんが、
信長を理解できる軍師はいなかったいうのが正直なところかもしれません。

それに対して徳川家康は多くの家臣団全体が軍師のようなものだったようです。
さらに家康は六韜を深く研究していたらしいです。

この多くの軍師達は兵法にたけており、孫子兵法六韜三略(りくとうさんりゃく)
などを熱心に研究したようです。

六韜三略というのは中国の周王朝成立に大きく貢献した太公望、呂尚(りょしょう)
の帝王学と兵法です。

六韜は対話形式で君主としてのありかたを説いたもので、政治のあり方、
国のあり方、部下との接し方、民衆の扱い方までを丁寧に述べています。
今の政治家には是非とも読んでいただきたいくらいです。

そして三略が戦い方や陣構え、戦術を同じく対話形式で説いたものです。

太公望というと一般的に釣りのイメージが強いのですが、後の周の文王
姫昌(きしょう)が占いにより、釣り糸を垂らしている呂尚に出会い、
教えを乞うたところ、この人こそ大公(曽祖父)が望んだ人物に
違いないと確信し、太公望と仰ぎ、軍師として陣営に迎えたのです。

太公望と文王.jpeg

その時の場面から太公望→釣りというイメージができあがったのです。

そして悪政の殷王朝を倒し周王朝を起こすことに成功したのです。
この時の殷王朝は殷の紂王(ちゅうおう)と側室の妲妃(だっき)
によって悪政を重ね、庶民が苦しめられていたという話になっています。
そのときの話が基になっているのが『封神演義』という物語です。

酒池肉林などという言葉も、妲妃が殷の紂王に作らせたものから
生まれた言葉なのです。

そして孫子兵法ですが、中国春秋時代、紀元前500年ころに斉の国を
追われた孫武(そんぶ)が軍略を学問として書き記したものです。

孫武.png

その時、呉王に請われ呉の軍師を務め、軍功をあげ、孫子兵法によって
その名を天下に轟かせました。

その時の兵法には13篇がありました。

孫子兵法書.jpg

1 計篇、2 作戦篇、3 謀攻篇、4 軍形篇、5 勢篇、6 虚実篇、7 軍争篇、
8 九変篇、9 行軍篇、10 地形篇、11 九地篇、12 火攻篇、13 用間篇
この13篇です。後に書き加えたものを合わせると82巻・図9巻にもなります。

その孫武の子孫といわれる孫臏(そんぴん)もまた孫子と呼ばれ、
新たに兵法を書き加え、斉の国で軍師を務め大きな軍功を残しています。
こちらは89巻・図4巻にもなります。

その二人の孫子が残したものが現代の孫子兵法といわれています。
この兵法が日本に伝わり、それを武家の習い事としていたのです。

軍師としての功績はこの兵法書を暗記するだけでなく、いかにうまく
応用することができるかが、見せ所だった訳です。
それにしてもかなりの部分を暗記してしかも天候や地形、相手の心理なども
分析して応用するわけですから並みの人間には絶対務まりませんね。

孫子兵法の一文をそのまま旗印にしたのが、武田信玄です。
「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」です。本来は
この後ろに「難知如陰、動如雷霆」と続くのですが、省略されています。
「疾きこと風の如く、徐かなること林の如く、侵略すること火の如く、
動かざること山の如く、 知り難きこと陰の如く、動くこと雷の震うが如し」
です。

意味が似通った部分を省いてごろが良くなるようにして旗印にしたようです。

世の中に名軍師と呼ばれる多くの人物は天下を取れる力を有しながらも
過大な野心を持たず、主君に仕えたのは歴史を学び野心を持ちすぎた者の
末期を知っていたからかもしれません。

国士無双、万夫不当といわれた大将軍韓信があわれな最期を迎えたのに対し、
中国でも有名な軍師、張良子房、そして諸葛亮孔明のように後世までその
清廉潔白さを残した人物を比較したからでしょう。

特に諸葛亮孔明は主君の劉備に我が子に才能なくば君自ら獲れとまで
言われながら自分が政権を獲ることはなく、未熟な主君に最期まで忠節を
つくしたのです。

勘兵衛も秀吉が疑心暗鬼に陥り、本心では自分を恐れていることを知り、
二心ないことを示すために剃髪し、如水と改名したのです。

軍師、黒田官兵衛は秀吉の天下統一に大きな足跡を残しました。
そして嫡男の黒田長政も秀吉亡き後、時代の流れを読み違えることは
ありませんでした。父がすでに義理を果たしていたのです。

これからのドラマもそこをどう見せてくれるのかが楽しみです。





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