So-net無料ブログ作成
検索選択

完璧という言葉の由来と、そして誤字

スポンサードリンク




こんにちはtryです。

今回はいつもみんながよく使いながらも、その言葉の由来を知って
いる人が少ない言葉、『完璧』についてお伝えしたいと思います。

この『完璧』という字ですがという字とよく間違えて書く人がいます。
正しくはです。壁は下に土の字を書きますが、完璧の字は玉を書きます。

この『完璧』にはこの『玉』が関係しているのです。

では『璧』というのはどいういうものかご紹介しましょう。
璧というのは平で孔(あな)の空いた宝玉のことを指します。
こういった宝玉がが璧なのです。とても価値の高いものを指します。

璧.png

だから双璧という言葉もこの字を使うのです。価値の高いものです。

完璧という言葉の由来ですが、「壁を完う(まっとう)して帰らん」
という言葉からきているのです。

この話は中国の後漢の時代、司馬遷の編纂した「史記」に出てきます。
時代は紀元前3世紀ころの中国の周王朝、いわゆる春秋時代の話です。

かつて楚の国に卞和(べんか)という男がいました。

山中である石を見つけ、これは磨けば素晴らしい宝玉になると確信し、
楚の厲王(れいおう)に献上したのですが、王にはそれがただの石ころ
にしか見えず、鑑定者にもただの石ころとしか思えずに、褒美目当ての
嘘つきと呼ばれ、罪に問われ片足を切り落とされてしましました。

卞和は悔し涙を流しながら、泣く泣く家へ帰っていったそうです。

その後、楚の厲王が亡くなり新たに武王が即位しました。

もしかするとこの王様ならこの石の良さをわかってくれるかもしれない
と卞和は思い、新しい王にこの石を献上しに出かけたのです。

ところが今度の新しい王も、鑑定管も前の時と同じく信じてくれず、
またもや王の怒りを買い、残った反対側の足も切り落とされてしまい、
見るも無残な姿になって帰路につくしかありませんでした。

ここからまたしばらく時が過ぎます。
残りの足を奪った武王も亡くなり、新たに楚の文王が即位しました。

文王が即位したことを聞いた後で、卞和はこの石を抱き、山に入り
三日三晩泣き続けました。今まで誰も自分のいうことを信じなかった
ことがとてもくやしくてたまらなかったのです。

山でずっと泣き続けている老人がいるようだとの噂が即位したばかりの
王の耳にも入りました。

迷信が多く出回っていた時代です。即位したばかりの文王はとても気になり、
なぜ泣いているのか聞いてくるように命じました。

王の配下がなぜ泣いているのか問いただしたところ、「誰も自分のいうことを
信じてくれないばかりか、両方の足まで失ってしまった。文王様にこの石を
献上したいと思うけれど、また信じてもらえなかったたどうしようか」
と不安が頭をよぎり泣いていたと答えたのです。

その話を聞いた王の使者は卞和を王宮に連れて行き、王にその話をしました。
文王はその話を聞き、早速職人に磨かせてみよと命じました。

磨き上げてみると卞和の言うとおりこの世に2つとない見事な璧(宝玉)
ができあがったのです。

王は命がけで献上した誠実さをたたえるため、その璧(へき)を卞和の名を
とって「和氏の璧」(かしのへき)と名づけたのです。

この話が世に伝わり「和氏の璧」はとても有名になっていきました。
この「和氏の璧」は後に趙の恵文王に渡り、趙の国宝となっていました。

そんな世に聞こえた「和氏の璧」の噂を聞いた秦の昭襄王が、秦の15の城と
「和氏の璧」を交換にしないかと趙王に話を持ちかけてきたのです。

その当時の秦国は虎狼の国と呼ばれ、当の昭王はとても恐れられていたために、
無碍に断ることもできず、趙国は大騒ぎになったそうです。

このとき秦に向かう使者となったのが藺相如(りんしょうじょ)でした。

「もし、秦王が約束を守れば、【和氏の璧】は置いて帰り、15の城を渡さぬ
なら璧を完うして(へきをまっとうして)趙へ帰ります。」そう言い放った
のです。つまり必ず持ち帰ると約束したのです。

言葉どうり藺相如は秦王に一歩も譲らずに渡り合い、秦王も藺相如の
豪胆さに敬意を表し手厚いもてなしをうけ、【和氏の璧】を無事に
趙へと持ち帰ることに成功したのです。

これが『完璧』に関わるエピソードです。

この藺相如はこの『完璧』という言葉を生んだだけでなく、『刎頚の友』
(ふんけいのとも)という言葉も生んでいます。
刎頚の友(ふんけいのとも)とは、この人のためなら刎(くび)を頚ねられても
悔いは無いという意味です。

最近までNHKのBSで放送していたヤングジャンプ連載中のアニメ『キングダム』
にも登場した趙の大将軍の廉頗(れんぱ)と藺相如はこの契を結んでいるのです。

廉頗大将軍.jpg

初め、廉頗は璧で名を上げた藺相如をやっかんでいましたが、藺相如の本心を
知って、自分の過ちを悟り、自ら裸の体に茨(いばら)を巻きつけ藺相如に
許しを乞うたのです。

そのときに言ったのが、「あなたのためなら刎(くび)を頚ねられても悔いは
無い」という言葉で、その後友誼(ゆうぎ)を結び、それが刎頚の友
(ふんけいのとも)の語源になったと言われています。

かつてのロッキード事件で小佐野賢治氏が田中角栄氏を刎頚の友であると
いったという話は今に残る有名な話です。



スポンサードリンク



nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:

トラックバック 0

この記事のトラックバックURL:

お勧め商品