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非業の武将 山中鹿介、その子孫は大財閥?

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こんにちは、tryです。

今回は何を話題にしようかと思案していましたが、好きな戦国時代劇、
『軍師 勘兵衛』に山中鹿介がでてきたのを思い出しました。

前日に引き続き戦国時代に活躍した人物に触れることになります。

山中鹿之介といえばなんといっても「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」
という言葉が有名です。

山中幸盛.JPG

現在では山中鹿之介の通名な有名ですが、当時は山中鹿介幸盛といいましたが、
その武勇にすぐれた印象から鹿介のほうが有名になっていったようです。

ここでは鹿介でとおします。

鹿助は尼子家家臣のなかでも十勇士筆頭であり、その武勇は群をぬいています。
毛利軍が月山富田城を攻めた際に、鹿之助はが1人で毛利軍約40人と戦い、
19人を討ち取り、残りの軍勢も撃退したという逸話が残っています。

その他にも天下に名高い豪傑達と一騎討ちを3度行い首級をあげています。

最終的に彼は討ち取られたのではなく、孤立無援となり、兵糧も底を突き、
また城を離れる者も後を絶たなくなったため降伏して生け捕りとなり、
毛利輝元の下へ護送される途中で誅殺されたのです。

強すぎたことで恐れられ、最期に非業の死をとげた悲運の武将として
彼は名を残しました。

さてここからもう一つエピソードがあります。

日本酒好きのtry親父にとってはこの山中鹿介大きな役割を果たすのです。
といっても直接本人ではありません。その次男がです。

この山中鹿之介の次男、名を変えて鴻池(こうのいけ)新六と名乗っていました。
そして摂津の国で酒の醸造と行商を生業としていたのです。

ある日新六は下働きが大きな失敗をしたので、こっぴどく叱ったのです。

その叱られた下働きの男は、それを根に持って仕返しをしてやろうと
酒の詰まった貯蔵用の酒樽の中に御釜の灰汁(あく)を放り込んで逃げ出しました。

それを知った新六はとんでもないことになったと大騒ぎしたのですが、
樽の中の酒は炭で真っ黒、どうしようもないのでそのままにしておきました。

そして次の日、なんということでしょう。酒は綺麗に澄んで透明なお酒に
なっていたではありませんか。

しかも飲んでみると以前よりすっきりした味に変わっており、香りも穏やかなものに
変化していたのです。

これは今でいう炭素濾過と同じなのです。灰汁の中に残った炭素成分が
嫌な味や余計な香りを吸着し、素晴らしい酒になっていたのです。

これが清酒の始まりなのです。現代では活性炭を使って炭素濾過という
方法をとっています。これはとても画期的なことだったのです。

その後、他よりも透明ですっきりしたお酒は評判をとり、新六は巨万の
富を得ることができました。

これが後の鴻池財閥の前身になったのです。

その後鴻池家は全国一の富豪となり、諸大名に何千万石もの大金を貸し付け、
その各大名からも扶持をもらって、合わせると一万石を超えるようになり、
大名並みの権威を持っていたとのことです。

父の山中鹿介は非業の死を遂げましたが、その血筋は脈々と生きつづけ、
下火になったとはいえ、現代も鴻池財閥はUFJグループの一員として存続し
続けています。

飛躍するきっかけは叱った下働きの男の仕返しから始まったのですから
何が自分に味方してくれるのかわからないものです。

そしてその下働きの男ですが、どうなったのかはわかりません。

以前お話しした、斎藤一人さんの「ついてる」という話そのものです。
まさに怪我の功名というやつでしょう。

そして多くの酒蔵の酒の酒質向上にも役立ったわけです。


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